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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

笠置解脱房上人、太神宮参詣の事 (無住『沙石集』巻一)

原文

おなじき神官しんぐわんかたりシハ。故笠置かさぎ上人菩提心祈請きしゃうノタメニ。八幡はちまん叅籠さんろうス。示現じげん力ニハカナヒガタシ。太神宮だいじんぐうまゐりまをし給ヘト。夢ノ中ニ御告おつげアリテ。道ノ様くはしク。ヲシヘサセ給ケリ。サテ夢ノ中ニ叅リ給ケルホドニ。外宮げくうノ南ノ山ヲスクニ越テ叅給。山ノいただきニ池有。大小ノレンゲ池ニミチタリ。或ハ開タル花。ツボメル花。いろマコトニたへナリ。カタハラニ。人アリテイフヤウ。此蓮華ハ。當社たうしゃノ神官ノ旣ニ往徃わうじゃうシタルハ開タリ。徃生スベキハツボメリ。和光わくわう方便はうべんニテ。多クハ徃生スルナリ。アノツボメル蓮華ノ大キナルハ。經基つねもと禰冝ねぎト申ガ。徃生スベキ花也トカタル。サテ御社おやしろヘ叅テ。法施はうせタテマツルトゾ見給ケル。夢サメテヤガテおひ打カケテ。只一人。ユメニマカセテ叅リ給フニ。スコシモミチスガラ夢ニタガハズ。タヾシ外宮ノ南ノ山ノふもとヲメグリテ。大道おほみち有テ山ノみちハナシ。コレノミゾタガヒタリケル。社壇しゃだんたいハ。ユメニタガハズ。サテワカキ俗ノ有リケルヲマ子キヨセテ。マヅユメニミシ禰冝ノ事ヲ問給。コレニ經基ト申子ギヤオハスルトノ給ニ。某申それがしコソハ名ノリさふらヘ。禰冝ニハ成ベキ者ニテ候ヘドモ。當時ハ。子キニテハ侍ラズトイフ。サテ金ヲ三兩。おひノ中ヨリ。トリイデヽタテマツラル。 ヤガテかの俗ノ家ニ宿やどシテ。社頭しゃとうノ様ナンド。コマカニ問給ヒケリ。我今度生死しゃうじ出離しゅつりセズシテ。人間にんげんニ生レハ。當社ノ神官トムマレテ。和光ノ方便ヲ仰クベシト。チカヒ給ケルト。カタリ侍キ。カノ經基ニ。シタシキ神官カ語シカバ。たしかノ事ニコソ年ひさしくナレリト云ヘドモ。此事耳底ニ留テ不忘仍記之

現代語訳

同じ神官〈外宮の社家、度会氏か?〉が語ったのは、
「故笠置上人〈貞慶〉が菩提心を祈請するため、八幡〈石清水八幡宮〉に参籠した。(神意の)示現で『我が力には叶えられない。太神宮〈伊勢神宮〉へ参って申し給え』と、夢の中にて御告げがあって、(太神宮への)道の様子を委く教えられた。そこで夢の中にて(太神宮へ)参られるのに、外宮の南の山をすぐに越えて参られた。その山の頂には池があり、大小の蓮華が池に満ちている。あるいは開いた花があり、またつぼめる花があって、その色と香りはまこと(言葉に言い尽くせぬほど)妙なるものであった。傍らに人があって言うには、
『この蓮華は、当社の神官で既に往生〈兜率天への往生?〉した者のは開いており、往生するであろう者のはつぼんでいる。和光〈神々〉の方便〈手立て〉によって多くの者は往生するのだ。あのつぼんでいる蓮華の大きいのは、経基禰冝〈神職の相承〉と申すものが往生するであろう花である』
と語った。そうして御社へ参って、法施〈経文を唱えること〉を奉るという夢を見られたのだ。夢が醒め、すぐに笈〈木製の背負子〉を背負って、ただ一人、夢を頼りに(太神宮へと)参られると、少しもその道中はずっと夢と違いがない。ただし、外宮の南の山の麓を廻る大きな道があって山の路は無い。これのみが違っていた。社壇〈社殿〉の体〈様子〉は夢と違っていない。そこで若い俗人があったので招き寄せ、まず夢に見た禰宜の事を問われた。
『ここに経基と申す禰宜はおられるだろうか』
とおおせになると、
『某申こそがそうう名乗る者であります。(やがては)禰宜に成るべき者ではございますが、今は禰宜ではございません』
と言う。そこで金三両を笈の中から取り出して奉納された。 そのままその俗人の家に宿して、社頭〈社の周辺〉の様などを細かに問われた。
『私が今度、生死を出離せず、(ふたたび)人間に生まれたならば、当社の神官に生まれて和光の方便を仰ぎます』
と(笠置上人に対して)誓われた」
と語ったのである。その経基と親しい神官が語ったことであるから、慥かな事である。(その話を聞いてから)年久しくなったとはいえ、この事が耳の底に留まって忘れられず、そこで之れを記した。

脚註

  1. おなじき神官しんぐわん

    本書『沙石集』巻一第一話の「太神宮の御事」に登場する神官。本話に語られるのは伊勢神宮の外宮についてであるから、その社家である度会氏であろうと思われるが、あるいは内宮の荒木田氏も一応考えられる。

  2. 笠置かさぎ上人

    解脱房貞慶〈1155-1213〉。平安末期から鎌倉期初頭にかけて活躍した法相宗僧。藤原貞憲の子で藤原通憲の孫。興福寺に入って学才を現し、将来を嘱望された学僧となったが、貴族化し奢侈に流れた当時の僧徒らの堕落を嫌い隠遁。いわゆる遁世僧となった後に興福寺内に律学の道場として常喜院を建立して戒律復興を志した。法然の念仏を停止を朝廷に求めた『興福寺奏状』の作者としても著名。

  3. 菩提心祈請きしゃう

    菩提心とは、生死輪廻から解脱すべく悟りを求める意思で、他の生命を導き救わんとする誓願・志を併せて特に大乗の修道において極めて重要な菩薩としての核心とされる。
    ここでの「菩提心祈誓」とは、自ら菩提心を退転させず、より強固にするための神威の加護・助力を祈るという意か?

  4. 八幡はちまん

    石清水八幡宮。当時、八幡神は仏法守護の神としても信仰されていた。

  5. 示現じげん

    仏・神が不思議な力を示すこと。

  6. 太神宮だいじんぐう

    伊勢神宮。

  7. 外宮げくう

    伊勢神宮には二つやや離れた地に内宮と外宮があり、内宮は天照大神を、外宮は豊受大神を祀る。

  8. 往徃わうじゃう

    死して後、別の世界に生まれ変わること。
    無住のあった当時、特に阿弥陀仏を念じ、その極楽浄土へ往生することを願ういわゆる浄土教が平安中期から特に貴族の間で流行し、次第に庶民にまで下りて鎌倉期初頭には法然や親鸞によって極端なものへと変化しつつ広がりを見せていた。しかし、笠置上人(貞慶)は特に極楽往生など願う弥陀信仰など有しておらず、むしろ法然による極端な念仏信仰を激しく批判し、糾弾する立場にあった。笠置上人は弥勒信仰に基づく兜率往生を志向しており、また『沙石集』第一話「太神宮の御事」にて語られる伊勢神宮にまつわる本地垂迹説にても、阿弥陀の極楽信仰などほとんど関知しないものであり、むしろ天岩戸あるいは高天原を兜率天とするものであって、それは弥勒信仰に容易く直結するものであった。したがって、ここでいわれる「往生」をして直ちに極楽往生を意味するものと捉えることは早計であり、あるいは兜率天に(その神々として)往生することを意図したものか。

  9. 和光わくわう

    和光同塵の略。仏・菩薩が衆生を救うため本来の威光を和らげ、塵苦にまみれた世界に姿を変えて同じく現すこと。変化、垂迹に同じ。

  10. 方便はうべん

    [S] upayaの漢訳。特に仏道(出離・生死解脱)に導くための手段、手立て。

  11. 禰冝ねぎ

    神社に奉仕する神職の総称。

  12. 法施はうせ

    経文などを読誦すること。あるいは説法して仏道に導くこと。

  13. おひ

    笈。古の日本で用いられた、旅などのために用いた背中に背負う木製の箱。

  14. 社壇しゃだん

    社殿。

  15. 社頭しゃとう

    社の前、あるいは社周辺

  16. 生死しゃうじ出離しゅつり

    いたずらに生死を繰り返して苦しみを受けて果てない、いわゆる輪廻転生から解脱すること。

  17. 人間にんげん

    人世界、人社会。現代いうような「人一般」の意ではない。

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